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近  況  報  告

 
令和 6年 1月21日 
<靖国神社 永代神楽祭>

 私は、今年、終活の一環として親族・特にお世話になった方たちの命日に最後のお墓参りをすることにして、1月3日(家内の母の命日)から実行しています。

 今日、1月21日は 西部ニューギニアのマノクアリで戦死した、父 信清勝政の命日で、靖国神社の永代神楽祭に雨の中を朝1番の羽田行きで行ってきました。
 退職をしてからは、何回かは行ったことがありましたが、加齢を考えると、一応、今回を最後と思って・・・・・

 さて、当日、参集殿の「永代神楽祭控室」には定刻になっても私一人の貸し切り。手水場貸切り、お祓いを受けた後ご本殿へと進み、座席はご本殿ど真ん中。
 巫女による御神前への山の幸、海の幸、御神酒を奉奠。神職による祝詞奏上、この中で御霊の名前が一人一人読み上げられましたが、頭の中で数えていると全員で93名、 父は83番目に読み上げてくれました。
 その後、雅楽(太鼓、笛、琴)の演奏に合せ巫女さんの優雅な舞がありました。
 玉串奉奠も一人、退場時の参拝は巫女さんに合わせて二人だけという超贅沢な約30分間で、もう少し玉串料を出したら良かったかな〜と・・・・・
 

<久し振りの参拝です>











令和 5年12月31日(日) 
<令和5年のチヌ釣りとゴルフ>

  ☆ チヌ釣り
 浦戸湾へ 10回の釣行でした。
 主な釣果は
 チヌ 55枚 (2歳6枚、子35枚、ヒョウ7枚、クロ7枚)
 エバ 130
 今年も夏の猛暑とKIYO丸の整備に時間を要し、加えて、潮・天候・餌の活きエビ・私の都合等が合致することが少なく、退職後で最低の釣り行となりました。 釣果もチヌは最低でしたが、エバは12月終わりに大・中・小色々でしたが良く釣れました。  

  ☆ ゴルフ
 ゴルフも夏の猛暑と予定した日がたまたま雨になり、キャンセルが多くなった関係も有り、県内だけで25R楽しみました。 毎月定期的に行くコンペも月2回になりました。
 ただ、思いがけず? 高知ゴルフ倶楽部でエージーシュートを達成しました。グロス82(イン43・アウト39)、この時だけ特筆すべきスコアが出ましたが、以後は90も切れません。
 カシオワールドオープンゴルフトーナメントのボランティアは申し込んでいたところ、今年も許可?が来ましたので、1番希望者の少ない金曜日に1日だけでしたが行ってました。ただ、馴染みのある人がいなくなり、 記念コンペも慰労会も行く予定はしていません。寂しい限りです。  

 80歳を越してからは、体力、気力の衰えは想定以上で、釣りもゴルフも段々少なくなると思いますが、後2、3年はやりたいな〜と

 終わりになりましたが、このHPを今年訪問して下さった方は、1月1日に159,358カウントで スタートして、現在162、715。延3,357人でした。アクセスしてくださった皆さん有難うございました。

 来年は今年以上の活動をしたいと思っていますので、よろしくお願いします。  


令和 5年 7月18日 
<今日の1日>

 朝5時のNHKラジオのニュースを聞いて起床。今日も、日中は32度で、蒸し暑いとの天気予報で、うんざり。

 畑仕事とKIYO丸の整備で過労となり、一昨日から体調を崩していたので、ここ1カ月、日課となっている早朝のカボチャの授粉作業は見送り、 早過ぎると思ったが、高知ゴルフ倶楽部で毎月第3火曜日に開催しているゴルフコンペへ。

 スタートまでにたっぷり時間が有ったので、寄せを入念に練習してティーグランドへ。
 昨日の記念コンペで、今日はキャディーを全員休ませているそうでセルフプレーとなる。
 同伴者は初めての人達だったが、自治会の会長を長年している人もおり、皆さん気さくで、お互いに良いショットを褒め乍ら、体調の悪いのも忘れて楽しくプレー。
 カートを運転することもあり、普段通りに歩くことは出来なかったものの、水分を多めに取りながら、汗を拭き拭き、インを何とか44でプレー。

 昼食時に、私より4歳上のK氏が「85歳になってから何もかもがガックリ低下した」との言に、私が「80になってガックリきて悲観しているのに、まだ、来るんですか?」と言うと、 「あんたは大丈夫」と慰め?てくれたが・・・

 午後のアウトも41で何とか完走できて、まだ大丈夫?かなと疲労困憊で帰ってきました。

 一休みして、夕方に家内とすし屋に行って、旨い生ビールを2杯飲めて、今日も良かった!良かった!!というところ。

 誕生日に考察?することが恒例になっている、退職後に続けている4つの道楽ですが。
1 ハイカラでのチヌ釣り
 すっかり安全な釣りに自信が無くなっており、この頃は行くか?行かないか?と迷ったときは行かない方になっている。
 未だ止めたくはないが、この日はどうしても行くという日が少なくなり、回数は毎年毎年減少傾向。
 先ずは、黒岩さんに依頼してKIYO丸の上架しての整備をする必要がある。
2 健康のための歩くゴルフ
 歩くゴルフは何とか続けられていますが、念願のエージシュートもやっと達成したことだし、今後は必要最小限にしようと思っています。
3 けいすけ農園での農作業
 後継者に誰も名乗りをあげてくれませんので、身体の動く限りやる覚悟です。
4 パソコンでのホームページと株取引
 ホームページは釣りを止めれば閉じることになると思います。 株取引はパソコン上の数字の見間違いが頻発している現状ですが、最近は小規模ですが為替取引もやるようになっており、楽しみを少なくするつもりは有りません。 
 


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令和 5年 6月20日 
<初のエージシュート>

 ゴルフのホールインワンとエージシュートはもう無理かと諦めていましたが、石井さんに誘われて、高知ゴルフ倶楽部で毎月1回開催されているゴルフコンペ「コンペ愛」 に5月から参加しています。
 その参加2回目の今日、イン43、アウト39、トータル82でエージシュートを達成しました。

 今日はいつも通り5時に起きて、「けいすけ農園」のカボチャの授粉作業も済ませ、一寸早すぎると思ったが、高知ゴルフ倶楽部へ。
 早く着き過ぎて、スタートまで約1時間あったので、梅雨の晴れ間で蒸し暑い中を、何時にないパットとアプローチの練習で汗をかいてスタート。
 3人の同伴競技者が初めての人達だったこともあり、最初は控えめに、無駄口を言うことも無く、インコースを淡々とプレー。
 雨で予定していたコンペが悉く中止になり、1カ月振り、6月に入って初めてのラウンドにも拘らず、ショットが頗る良く、後2ホールを残して3オーバー、今日は久し振りに30台で回れそうだと気合?を入れて 慎重になり過ぎたのが悪かったのか、肝心のところでソケットが2発出て、ダボ、ダボ。
 3パットが5回有ったものの43であがり、午後のアウトに期待を持たせてくれる結果に。

 午後のアウトコースは、1番ロングで第3打目を1メートルに付けて、楽々のバーディスタート。2番から7番までは全てボギー、ショットは疲れのためか?儘ならなかったが、スタート前に練習した パットに助けられた。
 8番のミドルホールは寄せ1のパー、9番は2打目を3メートルに付けて、ここで初めてこれを1発で入れたら記録だと自分だけ意識。他の同伴競技者は92歳の竹村さんは私と同スコアでエージシュートなんか普通。
 こちとらは真剣そのもの、前後左右からラインを読んで、キャディーさんに「内?外?」と助言を請うと「左外いっぱい」の同意見。もう1回歩測して、頭を残して慎重にパット。
 入ったボールを拾うときには誰もグリーンに居ない静かな記録達成でした。
 午後は6ホールで1パット、トータル12パットという記憶にないパット数でした。

 結局、バーディ3、パー3、ボギー10、ダブルボギー2 でした。
 

<今日のスコアカード>



      
令和 5年 2月26日 
<四国霊場第60番 横峰寺>

 コロナの関係等で一時中断していた四国88ヵ所霊場巡りを再開しました。

 今回は松山市内に1泊して周辺を回ってきました。
 2日目の朝は難所で知られる60番の横峰寺に。
 特に情報収集していなかったので、有料道路の入り口まで来て、はたと困りました。
 通行止めになっているではないか。(私が知らなかっただけで、2月28日まで通行止め)
 車から降りて如何しようかと迷っているところに、上から降りてきた乗用車あり、運転者曰く「雪が残っているが、ゆっくり行けば行けんことは無い」とのご託宣、普通のタイヤしか履いてなかったが 急がず、慌てず、慎重に行くことに。

 有料道路とはいえ急勾配の曲がりくねった狭い道路を約5キロ恐る恐る走って無事駐車場に到着。(途中3回しか対向車に遭わなかったのも幸いでした)
 ホッとしたのも一瞬で、気温は0度で雪もちらほら降っている中を約800メートル雪道を何度も滑って転びながらやっと本堂に到着。
 参拝者もちらほらあり、納経帳にも記入してくれて無理して来た甲斐がありました。
 

<やっとの思いで参拝できて・・・>

<上から見た本堂方面の雪景色>

<これからまだ下に降りていくのか?>

<駐車場からの眺望。看板も無いので何処か判りません>


      
令和 5年 1月 5日 
<けいすけ農園にイノシシ侵入>

 正月早々にけいすけ農園にイノシシが侵入し、10数か所を断つ繰り返されていました。

 農園の周囲に隈なくイノシシ防御のネットを張ってからは、久しく被害が無く安心していたので、1月3日の夕方に水やりに行ったときに変な跡があるなとは気が付いていましたが、 近くのネットに変化も無く見過ごしていました。
 ふり返ってみると、3日は下見で?昨日か今日の未明に本格的に侵入して荒らしまくったようです。

 進入箇所を調べてみると、上段の所有主の障害物が沢山ある北側からネットを破って侵入した跡がありました。
 直ちに、北側のネット全てを隙間の無いように張り直して、大きく破られていた箇所にはバリアーを設置しました。

 取り敢えずこの状態で相手の出方を見ることに。

<1月3日に来た時に気がついていた掘り起し跡>

<1月5日にはこの様な跡が10数か所あった>

<よく調べてみると北側のネットが破られて大穴が開いていた>

<ネットを修復し、要所にバリアーを設置した>



令和 4年12月31日(土) 
<令和4年のチヌ釣りとゴルフ>

  ☆ チヌ釣り
 浦戸湾へ 14回の釣行でした。
 主な釣果は
 チヌ 113枚 (3歳6枚、2歳16枚、子52枚、ヒョウ37枚、クロ2枚)
 エバ  46
 今年は、夏の猛暑と11月に又しても海中へ転落、KIYO丸の係留場所を乗り降りに安全な高知港仁井田ボートパークに変更した等があり、少なかった昨年を下回りました。
 チヌは小型のヒョウが例年よりも多くなりました。エバは丁度の時期が係留場所の移動と重なり回数が少なかったせいもあり、極端に少ない結果となりました。  

  ☆ ゴルフ
 ゴルフも夏の猛暑でキャンセルを多くしたのと体力が衰えて、「健康のための歩くゴルフ」が苦痛になり、県内の24R でした。これからも益々少なくなると思います。
 目指していたエージーシュートの可能性は遠のくばかりです。
 カシオワールドオープンゴルフトーナメントのボランティアは申し込んでいたら許可?が来たので、金曜日の1日だけでしたが行ってました。  

 終わりになりましたが、このHPを今年訪問して下さった方は、1月1日に155,436カウントで スタートして、現在159、357。延3,921人でした。アクセスしてくださった皆さん有難うございました。

 来年もよろしくお願いします。  




              
令和 4年12月24日 
<南国土佐に大雪>

 朝起きて、カーテンを開けて ビックリ! 周り一面が銀世界。
 高知市内でこんな光景が見れるとは ビックリ!!
 白くないのは鏡川の流水面だけ。

 新聞報道によると、23日未明から大雪となり高知市内では午前8時に観測史上1位となる14センチ(今までの最高は10センチ)の積雪を記録したそう。

 前夜の天気予報で西日本の太平洋側でも雪になりそうとは言っていたが、ここまで・・・ ビックリ!!!

 23日は高知県中部と西部に大雪警報が発表され、日中も視界を覆うほどの雪が断続的に振り続け、交通網の乱れ・道路の通行止め・スリップ事故等が 多数起こり、1日中大混乱した。   

<朝起きてびっくり! こんな光景は初めて>

<雪の止み間の鏡川朝倉堰の様子>

<我が家の2階から対岸の朝倉方面の景色>

<この日時なのに「けいすけ農園」は白一色。白菜もキャベツも皆目・・・>

<ベランダに積もった雪をスリッパで踏んで測ってみたら14センチ>

<物差しは16センチ、日中に2センチ積もった?>

<積雪の最終状態、物差しは19センチ>



           
令和 4年12月 9日 
<仁井田ボートパークから初出航>

 海中に転落したり、KIYO丸に安全に乗降出来る係留所に移転したりで、1年で1番良い時期を逸しましたが、 やっと、今日、仁井田ボートパークから初出航しました。

 活きエビが無かったので、色々と制約があって、思うような釣りにはなりませんでしたが、天候にも恵まれ、良い再出発になりました。
  

<入り口から1,4キロの地点にある係留地(B−43)>

<浮桟橋を南に出て直ぐの光景>

<浦戸湾への出口、正面右手が巣山>

<ボートパークへの入り口>

<両端が浅いらしい、干潮時には注意が必要?>

<浮桟橋群が見えてきました>

<荷物は入り口に近い一時係留所に>


令和 4年11月18日 
<KIYO丸を高知港仁井田ボートパークへ>

 現在KIYO丸を係留している横浜係留地の浮桟橋が老朽化して、このままでは危険となり、修理を頼んでいましたが、仕事が詰んでおり、早急には出来ないとのことで、 色々と検討した結果、高知港仁井田ボートパーク(家から12,7キロ、30分)に移転することにしました。

 ここは約300隻が係留可能で、係留料は現在よりも高くはなりますが、知人に聞いていた通り、全てが良く整備されていて安全等に問題がなさそうです。
 ただ、入り口からKIYO丸の係留場所まで160メートルあって、荷物の持ち運びに苦労しそうです。
 

<移転する準備完了>

<仁井田ボートパークの下見に行ってました>

<仁井田ボートパークを目指して出発です>

<余り色々の場所を下見したので B-43か B-53 か迷って 一番きれいな? B-53 に一応繋ぎました>

<今日届いた許可書が B-43 になっていたので繋ぎ直してきました>



令和 4年 7月18日 
<現状維持は後何年?>

 今日も、普段通り6時前の目覚ましラジオで起きて、約1時間かけてテレビニュースを見たり、新聞を丹念に読みながら朝食を済ませ、パソコンの前へ。
 いつものとおり、まず、メールのチェックから、毎日、迷惑メールが殆どですが100通余り入っているので、このさび訳作業が大変?。大事で必要なメールもあり、 これを見落とすと人に迷惑をかけることにもなるので、結構神経を使います。

 今日のメールの中に、S健康食品メーカーからのBirthday動画が、
 「あたらしい日々がはじまる、美しい日々にときめく」
 「今日から始まる1年が楽しく健やかになりますように」
 又、M銀行からのメールには、
 「本日が素晴らしい1年の始まりとなりますように。素晴らしい誕生日をお過ごしください。」
 ある上場企業のメールには、
 「新しい1年が幸せで溢れますように」
 等々の言葉で祝ってくれているのか、これから1年の願望を言ってくれているのか判りませんが、当人にとっては、悪い気はしません。

 ということで、この区切りの日に退職後に続けている4つの道楽をいつまで何とか続けられそうかと思案してみました。
1 ハイカラでのチヌ釣り
 船着き場での転落からすっかり体力に自信が無くなっていますが、小型船舶操縦免許が令和7年10月まで、小型船舶登録が令和10年1月となっており、もう1回 免許更新をして、あと5〜6年はしたいな〜と。
2 健康のための歩くゴルフ
 今年初めにゴルフ会員権を解消したし、ゴールドシニア証も今年7月まで。ゴルフの調子を落としている関係も有り、今年は既に、プレー回数は極端に少なくなっています。
 「健康のための運動」も、それは畑仕事で充分達成している現状にあり、これからも必要最小限にして、今のプリウスに乗っている間は続けたいと思っています。
 なお、プリウスは来年1月の車検は受けて、次の車検時には軽自動車にしようと思っています。
3 けいすけ農園での農作業
 これが1番最後まで出来るかな? そう有りたいと思っています。
 車が無くなっても歩いて行けますし、出来る範囲の作業をすればよいですし。思い入れも多々あります。
4 パソコンでのホームページと株取引
 ホームページはハイカラでのチヌ釣りが止まれば必然的に閉じることに。
 株取引は資金が無くなることは無いと思いますが、金に係ることですので、今でも6と8を間違えて困っている現状からして、早い時期に止めることになるでしょう。    
 

<今は、朝2時間、午後2時間の畑作業が主体になっています。それでも畑は草縺れ>

<月曜から金曜までは、何もなければ9時前から約1時間、株式市況によっては午後3時まで パソコンの前に座っています>


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令和 4年 5月 
<体力の衰えを憂慮>

 80歳を超してからは、ゴルフの飛距離も一段と落ち、体重が64キロ超になったら減量のため朝、晩にする腹筋運動も最初は数回しか出来ず、懸垂・腕立て伏せは言うに及ばずの状態で、 体力が無くなったな?と漠然と思うことはありましたが。

 昨年の11月に、船着場で「KIYO」丸上の作業中に誤って海中に転落、どう足掻いても自力で船に這い上がれず、10数分で体力を使い切ってしまい、救命胴衣もつけて無かったので 、このままでは死ぬるぞと、人の気配があった対岸の人に大声で助けを求め、何とか浮桟橋に引き上げてもらいました。
 この時に、これじゃあ後何年釣りが出来るかと?・・・体力の衰えを痛感したことでしたが。

 その後、道路工事中の市道で、仮設中の狭い道路を自転車で無理に渡っていて、ここというときのペダルの踏み込みが出来ず、 サドルを上げていたので咄嗟に足を着けることも出来ず、あれよあれよという間にスローモーションで敢え無く転落。  

 その他の衰えも日に日に顕著で、今後の日常生活に支障が出ることは明白で憂慮しているこの頃です。  
 

<「KIYO丸」から転落した状況>


令和 4年 2月 
<「けいすけ農園」の花木の剪定と手入れ>

 コロナウイルスのオミクロンが猛威を振るっています。

 自遊人が感染に関与してはいけないと思い自粛していますが、海と畑で活動する分には関係ないかと。
 海は澄み過ぎてエサも無し。
 昨年末から取り掛かっているけいすけ農園の果樹と花木の世話に、運動がてら力を入れることに。

 まず、下草を刈って、木の周囲に有機肥料を満遍なく入れ、その上に土をかける作業です。
 土は隣の橋本さんの余った土を一輪でもらって来ていますが、これが急斜面があって重労働です。
 私の畑作業は通常は午前2時間、午後2時間ですが、直ぐ腰が痛くなるので、同じ作業を続けてしないためなかなか捗りません。

 なお、「果樹の剪定と手入れ」は、下記の私のフェイスブックにアップしています。
   https://www.facebook.com/people/%E4%BF%A1%E6%B8%85%E6%AD%A6%E5%BC%98/100012862147932


<16年経ったモクレンと吉野桜です>

<農道を通る人が見てくれるので桜も喜んでいるでしょう>

<この木は自然と良い姿になるので最小限の剪定で充分です>

<余り手入れもしませんが毎年増えていきます>

<近所の高橋さんが移転して行ったときに譲ってもらいました>

<鹿児島から取り寄せてもらった5本の内3本が残っています>


令和 3年12月31日(金) 
<令和3年のチヌ釣りとゴルフ>

  ☆ チヌ釣り
 浦戸湾へ 16回の釣行でした。
 主な釣果は
 チヌ 103枚 (3歳4枚、2歳26枚、子50枚、ヒョウ15枚、クロ8枚)
 エバ  300
 今年は、KIYO丸の整備、海中への転落、餌エビが潮の良いときに手に入らず、年末の気象条件が悪かった等に加えて加齢による?体力・気力の衰えによって回数が平年の半分以下となり ました。
 チヌは大型が少なく、殆どが子でした。エバは餌の関係と良い時期に水温の急激な変化もあって、2桁を釣ったのが2回だけでした。  

  ☆ ゴルフ
 県内の33Rだけで、今年もコロナの関係で県外ゴルフ場には行けませんでした。
 今年はエージーシュートが出来るだろうと思っていましたが・・・そんなに甘くなかったです。
 ハーフのベストが6月の土佐山田アウトでの40。1ラウンドのベストが5月のスカイ・ベイでの84。
 エージーシュートどころか、10月から絶不調になって、同伴者に迷惑をかけるので11月は2回、12月は1回しかラウンドしませんでした。
 昨年はコロナの関係で中止になったカシオワールドオープンは今年は開催され、1日だけでしたがボランティアで行ってきました。  

 終わりになりましたが、このHPを今年訪問して下さった方は、1月1日に151,308カウントで スタートして、現在155、435。延4,127人でした。アクセスしてくださった皆さん有難うございました。

 来年もよろしくお願いします。  



令和 3年12月14日 
<船着き場のポール等の整備>

 KIYO丸と隣の船をセパレートしているポール(先月に倒れているのを船から差し込んでいて、反動で私が海中に落ちた曰く付きのポール)が折れて消失し、迷惑をかけいたので、 今日の干潮前を見計らって復旧に行ってました。

 まず、海中に差し込んでいる支柱のカキを落とすことからスタート、これがなかなかの難作業で、上部20センチ位をそこそこに落とすのに時間が掛かり、この段階で干潮近くになって しまいました。
 変な恰好で慣れない作業をするのでここまでで疲労困憊。
 休む間もなく、支柱の大体の寸法を測って近くのブリコへ。2種類の塩化ビニールを買って来て、海にこけないように慎重に作業。
 完全ではないが何とか仕上げる事が出来ました。

 次に、新しくトモ(船尾)を固定するためにブイを投入しました。
 長さの調整は次の大潮の満潮にしたいと思っています。


<桟橋から見た状態>

<1段目のパイプ・2段目のパイプの状態>

<折れたパイプと竹内さんに譲ってもらったカキ落とし道具>



令和 3年10月29日 〜 11月1日 
<KIYO丸の整備>

 年末がKIYO丸の船体検査(定期検査)になっていたので、黒岩さんにお願いして作業の隙間に入れてもらって整備するため上架しました。
 上架しての整備が2年振りだったため、船底の洗浄、塗装から始め、ギヤオイル、エンジンオイルの交換、ギヤチェンジが少し重くなっていたので そこも見てもらったところ、各部品の損傷が激しく、分解して更新することになり、思いがけず 時間も費用も掛かりました。

 これで日本小型船舶検査機構の定期検査を受けて、チヌ釣りの秋の陣には準備万端となります。


<上架して船底の塗装が済んだ状態>

<新しくブルーで「KIYO」を入れました>

<船外機の解体>

<全て終わってやっと船着き場に帰ってきました>












令和 3年10月2日・23日 
<山から見た浦戸湾>

 浦戸湾西方の山から湾全体を見たくなって、筆山の駐車場から皿が峰(標高163m)と鷲尾山(標高306m)に登ってきました。
 通っていた中学と高校が筆山の麓にあったこともあり、その時代には何回か登ったことがありましたが、何十年振りかの山歩きをしながら 人家等の建物も増え様変わりした浦戸湾の周辺を楽しんで見てきました。


<皿が峰頂上からの展望>

<標高163mの皿が峰頂上の標識>

<鷲尾山頂上からの展望>

<巣山周辺を中心の展望>

<浦戸大橋を中心の展望>

<標高306mの鷲尾山頂上の標識>


令和 3年10月10日 
<シロアリによる被害>

 建築から40数年経った家屋横に建てていた物置がシロアリに遣られました。
 それも物置の中棚が突然?落ちるまで気付か無いという失態で、何とも恥ずかしい。

 早速業者に依頼して被害状況を調べてもらったところ、幸いにも母屋には未だ来ていなくて最小限の被害で助かりました。

 シロアリ専門業者に徹底的に駆除と防除をしてもらいました。
 5年間の保証書を貰いましたが、この家にあと何年住むことになるか?   

<シロアリに食い潰された物置の棚の一部>  

<物置横の木戸の支柱と物置の棚>  

<物置の支柱>  

<檜部分は遣られて無く、そこへ薬剤を注入する処置をする>  


令和 3年 7月19日 
<私と浦戸湾>

 高知新聞の福田さんに「高知パルプ生コン事件」に関連して取材を受けました。

 私が浦戸湾の自然をこのホームページ、フェイスブック、NHK高知放送局の「土佐の1枚」等で発信し続けていることと、 50年前にこの事件現場を偶々通りかかり、生き返った浦戸湾でその恩恵を受けている数少ない1人だからだと思います。

 私と浦戸湾との関わりは、元々釣りが好きだったこともあり、中学時代に義兄に浦戸湾でハイカラでのチヌ釣りを教えてもらったのが始まりです。
 釣り全般が好きな私は、川でのエビ釣り、フナ釣りから始まって、磯(室戸から沖ノ島まで)にも沖にも鮎釣り(鏡川、仁淀川、四万十川)にも長年足繁く通いましたが、 最後に残ったのがハイカラでのチヌ釣りです。

 ハイカラ釣りは、当初は浦戸湾ばかりでしたが、浦戸湾が余りにも汚くなった昭和44年頃から宇佐と須崎湾にシフトし、浦戸湾は従の従になってしまい、 昭和50年からは浦戸湾には一切行っていませんでした。
 平成12年に釣り仲間の勧めもあって、久し振りに浦戸湾に行ってみて、その水質の変化に驚いたことでした。
 平成13年からは浦戸湾が主で、須崎湾が従になりました。
 平成16年に県庁退職後の第2の職場も退職し、伝馬船を買ってからは浦戸湾だけとなり、年間40〜50回(最大は64回)ハイカラでのチヌ釣りを楽しんでいます。 

 福田さんは「高知パルプ生コン事件」を広範に取材しており、浦戸湾での釣り体験もあることから、各所に配慮と気配りをした記事にして、私の81歳の誕生日翌日の 高知新聞に掲載してくれました。

<2021年7月19日 高知新聞1面>  

<高知パルプ生コン事件と浦戸湾との関わりの記事>  



令和 3年 5月12日 
<今年の新茶>

 「けいすけ農園」には、10数年前に5本植えたお茶の木が現在3本残っています。

 今年は1月からの土入れ、肥料の時期と量の手入れ、モグラ対策等が良かったのか? 例年に無く多くの新芽を出しました。
 そこで、ここ数年やってなかったレンジでの新茶作りを最小限ですることに。

 1 茶葉を流水で洗って、水気を切る
 2 レンジにクッキングシートを敷き、その上に茶葉を広げ、600Wで2分間加熱を3回してパリパリにする
 3 揉む・乾かすを繰り返して仕上がり

<黄緑色の新芽の部分を約60枚摘み取ってきました>  

<レンジで加熱してパリパリになった茶葉>  

<揉む、乾かすを繰り返して簡単に出来上がり>

<新茶の色と香りはまあ〜まあ〜か? 味は私には判りません>


令和 3年 2月25日 
<釣り道具の断捨離3(ギリ竿)>

 私は浦戸湾のハイカラ釣りでは竹製のギリ竿を使います。  

 竹の強さとハリスの太さを調整していますので、この強さに合った魚であれば通常の場合なら普通のやり取りで取り込めますが、その竹の強さ以上の大型の魚が来たら、 無理をすればハリスが切れるか竿が折れるかのどちらかになります。
 私の場合はハリスは傷がつけば直ぐ換えるし、毎回更新するので殆ど古くなった竿が折れることに。
 竿が折れるのは殆どが手元からで、先が折れるのは不注意からが多いです。

 竿はハリス0,8号用、1号用、1,5号用と常に3本舷側に置いてあります。
 このような状態で竿を使いますし、移動中に流すことも多々あり、毎年2,3本は補充することになります。

 私は不器用なので竿竹を採ってきてギリ竿を作ったり、手直しをしたりを殆どしませんので、不要の竿が溜まってしまいます。
 現職中は竿作りが趣味の後輩に譲っていましたし、10年位前には一部を土居さんに見てもらって修復したのを貰ったことがありますが、 今回も約50本が断捨離の対象になり、こればかりは迷うことなく全て断捨離することに。

<折れたギリ竿>  

<その元半部分の状態>  

<その先半分の状態>

<先だけ折れたもの>



令和 3年 2月14日 
<釣り道具の断捨離2(ハイカラ製造の型)>

 これは誰から譲り受けたのかはっきりと覚えていません。  
 多分、現役の課長時代に大橋通の南で店を出していた「あいはら釣具店」の大将にギリ竿を注文しに行ったときに「一宮の方に引っ越すがこれは要らんかよ」と 声を掛けてもらったときに、退職後に使ってみたいと思って貰ったのだと思います。

 退職して20年になりますが、ハイカラは谷内さんが私の注文どおりのものを何時でも作ってくれますので使う必要が無く、不器用な私はその気が全然ありませんが、 これだけは誰かに譲って有効に活用してもらいたいと適任者を物色中です。

 表に墨で何か書いてありますが、私には判読不能です。これが解読できれば何かが判るのですが。 

<2021,2,28 追記>
 今日、この記事を見た名古屋在住の恵資君から電話があり、この道具の出処が判りました。
 恵資君が学生の時に土佐市高岡町の「徳屋釣具店?」が廃業した時にこの道具を幾つか譲受け、その1つを私のところへ持って来てくれたそうです。 ここまで教えてもらってもその時のことを思い出せませんから困ったものです。
 恵資君もこれを使ったことが無いそうです。


<表に墨で何か書いていますが、判読出来かねます>  

<横から見た形状>  

<上下を開いた形状を横から>

<開いた形状、ハイカラの玉と針の位置が・・・>



令和 3年 2月12日 
<釣り道具の断捨離1(ハイカラ)>

 新型コロナウイルスが1年経っても終息せず何かと不自由しているこの頃です。  
 元気な時にしておきたいと一昨年から始めた私の終活も対人関係は儘ならず、一向に捗りません。  そこでという訳でもありませんが身辺の断捨離をすることに。

  手始めに釣り道具から。
 何せ60数年のキャリア?が在って、折れた竿等でも何かに使えるかもと思って大事に保管していたので簡単に断捨離は無理?。

 ハイカラ1つをとってもなかなか捨てることになりません。これは〇〇さんに使ってもらおうか、これらは鉛だけを取ったら、これは磨いて使ってみたいな〜と・・・  
  紀州の四角のハイカラは、私が高知労働基準局に勤めていた時に労働省から来ていた丸山監督課長(慶応ボーイの登山と釣りが趣味の人で、 私とよく浦戸湾のハイカラ釣り、夜釣りにも行きました。) が次の転勤地の和歌山から届けてくれた懐かしいものです。
 3枚目の画像は、沖で使う15匁前後のハイカラは菜園場の「丹吉」が製造した手打ちの針を使ったものだと思いますが、私は使ったことがありませんし、如何して私の手元に有るのかも 記憶がありません。


<竹内さんが特注で作った2匁のハイカラ、桂浜沖の「砂捨て」で使いました。>  

<紀州ハイカラ、私にはちょと・・・>  

<丹吉の手打ちの針を使った漁師用のハイカラ>

<あいはら釣具店、杉本釣具店が廃業した時に大量にもらった5分からの小型のハイカラ>

<使用済のハイカラの一部>

<道具箱の隅からこんなハイカラも出てきました。あいはらさんが作っていた時に偶然行ったときに貰ったのだと思います>

<方向を変えて撮りました。私はこのハイカラを使ったことがありません>



令和 2年12月31日(木) 
<令和2年のチヌ釣りとゴルフ>

  ☆ チヌ釣り
 浦戸湾へ 24回の釣行でした。
 主な釣果は
 チヌ 245枚 (3歳7枚、2歳47枚、子139枚、ヒョウ31枚、クロ21枚)
 エバ  310
 今年は、異常気象(高温と多雨)に加え、餌エビの供給がままならず回数が極端に少ない結果となりました。
 チヌは3歳が少なく、殆どが子でした。エバは餌の関係も有り平年をかなり下回りました。  

  ☆ ゴルフ
 県内の35Rだけで、コロナの関係も有り県外遠征はしませんでした。
 私も80歳になって、スタートティーが前になった関係でグロスは格段に良くなりました。
 誕生日の7月18日には前半のハーフを40で回り、後半も最後の18番でバーディーをとればエージーシュートでしたが惜しくもバーディーパットを外して残念無念。
 今年はコロナの関係で カシオワールドオープンと横浜ギアーゴルフトーナメントが中止になり、ボランティアは中断しました。  

 終わりになりましたが、このHPを今年訪問して下さった方は、1月1日に146,558カウントで スタートして、現在151、307。延4,749人でした。アクセスしてくれた皆さん有難うございました。

 来年もよろしくお願いします。  



令和2年12月10日(木) 
<パソコンを NEC LAVIE に更新>

 12月4日に株取引画面で突然何の前触れもなくパソコンがダウンしてしまいました。
 知っている限りのあらゆる努力をしてみましたが、私の知識では復旧せず、直ちに高知市内の専門修理店に持ち込みましたが、解決しません。
 パソコンが無ければ私の生活の質は半減しますし、現パソコンは買ってから5年経っていましたので、そろそろ買い換えたいと思っていましたので、 翌日は朝から電気店巡り。
 カタログとか実際に現物を見て色々と検討した結果、 NEC LAVIE のデスクトップを買いました。
 <主なスペック>
 基本OS Windows 10 Home 64ビット
 ディスプレイ 23,8型
 CPU 第10世代 インテル Core i7-10510U プロセッサー 4コア/ 8スレッド
メインメモリ 8GB
 HDD 3TB
 無線ラン Wi-Fi 6(2.4Gbps)対応

 ダウンしたパソコンは改めてメーカーのNECに相談した結果、一応、AOSデータ復旧サービスセンターで診てもらったらということになり、 送って診断してもらった結果は、
 症状は重度障害で、データ復旧の可能性はあるが、データ復旧費に178,000円掛かるとのこと。
 涙を呑んで廃棄処分にしました。

  データの復旧が無いとなると私としては大困り。
 最近はパソコンの調子が良く、バックアップの最新は今年の1月1日だったので、今年撮った画像等はどうしようもなく途方に暮れています。

 快適なパソコン環境を構築するにはまだまだ時間と手間が掛かりそうです。  




令和2年12月 4日 
<パソコンが突然ダウン>

 12月4日の午後に株取引をしている最中に突然フリーズが何回かして、パソコンがダウンしてしまいました。

 知っている限りの処置をしてみましたが、私の知識では如何にもならず、直ちに高知市内の専門修理店に持ち込みました。
 数時間後の診断結果はHDDが壊れていて手の打ちようがないとのこと。

 パソコンが無ければ私の生活の質は半減しますので、5日は朝から電気店巡り、やっと適当なのを買ってきたまでは良かったですが、ここ数年はパソコンの調子が良く、 バックアップを録る期間が長くなっていて、最新が今年の1月、新規作成に苦労しています。
 最優先で取り組んでいるのが、株取引・HP・メールで、どれをとっても一筋縄でいかず悪戦苦闘です。

 古いパソコンは改めてメーカーのNECに相談し、その紹介でAOSデータ復旧サービスセンターに送りました。  
 データーの一部復旧でも出来れば嬉しいのですが、その可能性は余り無さそうで、出来ても見積もりでは10数万円もするそうです。  

<P.S 令和2年12月23日>
 AOSデータ復旧サービスセンターから初期診断結果の報告が次の通り来ました。
 ・症状は重度障害でございます。
 ・データ復旧の可能性がございます。
 ・復旧不可となりましたら、費用は発生しません。(0円)
  お預かりした機器は、送料着払いでご返却いたします。
 ・ご納品媒体は、外付けハードディスクです。
 ・作業期間としては、5〜10営業日の見込みです。
 【お見積り】データ復旧費 ¥178,000

 私の返信は「お手数をお掛けしてすみませんでした。恐れ入りますが廃棄処分にしてください。」
 



令和2年11月11日 
<第100回 K・K・K 杯ゴルフコンペ>

 このゴルフコンペは、「ゴルフの出来る自分の健康(K)と環境(K)に感謝(K)して楽しくプレーする」をモットーに平成12年に始めて, 今回で区切りの100回を迎えました。 

 今年の5月に開催予定でしたが、新型コロナの感染拡大で延び延びになって、やっと今日実現出来ました。
 この会も会員の高齢化(最高齢は90歳、私も80歳になり、平均年齢も後期高齢年齢を上回りました)で、参加出来ない人が増えやっと100回に辿り付けたというところです。

 100回を機会に予定通り今回で最後にしました。ただ、今日の懇親会で春、秋の2回位はOB会をしてはという意見が多くあり、どこまで続くか判りませんが皆さんのご意向に沿いたいと思っています。
 

<太平洋コースの1番ティーグランドで記念撮影>


令和 2 年10月22日 
<龍馬に大接近 2020年(秋)>

 写真教室の実習で、時たま強風が吹く雨の中を桂浜へ。  

 桂浜公園内にある龍馬像横に設けられた、高さ約13mの特設展望台に大枚100円を払って、雨で滑る階段を最上段まで上がったのですが、龍馬目線の太平洋の眺望は出来ないので、 改めて龍馬像を観察してきました。

 このイベントは平成5年から始まったそうですが、私は何回か来ましたが、当初は足場も悪く恐々上ったことでした。
  龍馬パスポートのスタンプは数年前と同じでガッカリ。  
 

<生憎の雨でお客さんは・・・>  

<懐手にピストルを携帯>  

<この時代に靴>

<写真教室の反田講師に撮ってもらいました>



令和 2 年10月 8日 
<武吉孝夫写真展>

 過日の高知新聞の特集記事を読んで、早い機会に見てみたいと思っていた「記録の方法 令和から見る昭和・平成 武吉孝夫写真展」を香美市立美術館へ見に行ってました。  

 四万十町在住の武吉孝夫さんが昭和51年に撮った高知市内の写真を元に平成・令和の定点撮影を試みて、同じ箇所の新旧を対比できる写真展です。
  本展示500点、メクリの5000点の中には懐かしい箇所が多々出てきて、時間を忘れて見入ってしまいました。
  昭和の時代を生き抜いてきた我々の記憶の中にある街と、さらに変貌を続ける令和の街を比較して見ることが出来て楽しいです。  
 

<後方が本展示、台の上がメクリ写真>  

<昭和51年の桂浜水族館>  

<上町5丁目の市場、よく鯨を買いに行きました>

<元町商店街、自転車でここを通って県庁に行きました>


令和 2 年 9月23日 
<連年のイノシシによる被害>

 一寸した油断?から昨年と同じイノシシ被害に遭いました。
 芋の苗(安納芋)を梅雨時に3畝に60本植えて、今迄、大事に育てて来ていましたが、一晩で全滅です。 
 
 けいすけ農園近くのイノシシは以前から冬場には度々来襲するのですが、昨年から夏場にも偶に現れて被害を被るようになって困っていたところです。 
 その時期が来たので、従前から可成り強固に四方を防御していますが、補強が必要なところを点検しておかなければと思っていた矢先にやられました。 
 下の不耕作地から雑草でネットが浮いている箇所をこじ開けて進入して、芋は1つ残らず食い荒らされてガックリです。 
 調べてみると昨年は9月14日に同じ方法で入ってきて荒らしまくっていました。 
 
 俺よりもイノシシが賢かったということで諦めざるをえません。もっと学習しなければ。  
 

<侵入した箇所>  

<芋は1つ残らず食い尽くしています>

<遅ればせながら補強しました>



令和 2 年 9月21日 
<RYOMA passportV がやっとシルバーに>

 現在のステージ3のブロンズになったのが平成28年の6月でしたから、約4年経って、やっと今日、ステージ4のシルバーになりました。

  スタンプの48個は約2年前の8月にクリアー、体験プログラムが昨年の11月に達成して、宿泊の7泊がネックになっていました。
 今迄に足摺・室戸・中村2泊の4泊で、後が中々続かず、新型コロナの関係で Go To Travel 事業が始まったのを機に高知市で3泊してやっとのことでシルバーにステージアップしました。

 このパスポートも本来は今年の3月31日で終わりでしたが、急遽?1年延長されて間に合ったという次第です。
 来年の3月で終了するか、又、延長されるかは今のところ決まっていないようですが、次のゴールドは私にとってはハードルが高過ぎて、ここまでと思っていましたので、 途中ですが一応達成というところです。   

<ブロンズからシルバーへ>  



令和 2 年 7月18日 
<傘寿となる。記念の日にあわやエージーシュート>

 とうとう傘寿になってしまいました。

  今日は、とんでもない事が起こりかけていました。
 7月の所属ゴルフクラブの土曜月例会で、前半のアウトを40で回り、昼食時にひょっとするとエージーシュートをするかもと 冗談交じりに話して、午後のインコースへ。
 一昨日は錦山カントリーで99、前週は土佐カントリーで98と荒れ模様で、今年になってのベストが85だから、 可能性は・・・
 ところが最終の18番ティーグランドに来て、ここまで5オーバー、18番でバーディーを取れば・・・。
 第1打のドライバーは飛んだがOB杭の近くへ、これで万事休すと暫定球を打って、行ってみるとセーフ。
 ライの悪いラフの中からやけくそに打った第2打がグリーンオン。
 グリーンに上がってみるとピンまで6メートル弱、私の経験則も見た目もほぼ真っ直ぐのライン、チャンス到来か?
 他の3人が全てホールアウトして、私のエージーシュートパットのお膳立てをしてくれて、注視の中、 慎重に?パッチング。
 私は頭を動かさずに打ったので・・・  「入る!入る!!」の外野席の声で急いでボールを追って・・・ よーしと思ったが、無情にもカップの寸前で左に切れてガックリ。

 考えてみれば約60年ゴルフをやっていて、ベストが約20年前に出した79だから、こんな記念の日にそんな大それた記録が出る訳ないと諦めも早かった次第。
 傘寿になった今日、いつも通りに18ホールを全て楽しく元気に歩いてプレー出来たことに満足。

 ある人の経験によると「自信」「可能性」が失せる度に老化が進むらしい。昨今の私は段々両方が失せて行くようで寂しい。

 退職後のこういう節目の時には何時も後10年は・・・と息巻いてきたが、今は、周囲の環境も変わり、とてもそのような体力も気力も無く、釣りとゴルフは後3年はやりたいな〜と・・・  
 



令和 2 年 5月30日 
<令和2年のカボチャ栽培>

 昨年から本格的に取り組んでいる栗カボチャ栽培ですが、今年も挑戦?することに。

  先ず、組み立てのミニ温室で、「タキイ」「トーホク」の種50粒を種苗用の土に蒔いてスタート、双葉が出たころにポットに植え替え、そこそこ伸びたところで大きなポットに 有機肥料も入れて、もう1回植え替えた苗を植えたところまでは昨年と一緒。今年は33本の苗を植えました。
 今年はインターネットで色々の動画を見て勉強し、何処に実を付けるかに一工夫してみようと。
 @ 親ヅル1本方式
   子ヅルは全て掻きとって、親ヅルに実を2個とる方法。
 A 親ヅル1本、子ヅル1本方式
   親ヅル1本、子ヅル1本を残して夫々で1〜2個の実をとる方法。
 B 子ヅル2本方式
   親ヅルは本葉5,6枚を残して摘芯し、子ヅルを2本伸ばして実を2〜4個とる方法。
  3方式のどれを採るかは夫々の苗の勢いを見て決めることにしました。  
 どの方法でどんな結果が出るかを楽しみにして、これから栽培していきます。

<P.S.令和2年8月18日>
 令和2年のカボチャ栽培の顛末です。
 今年はスタートが遅かったのと長雨とその後の猛暑で収穫、品質等全てが不作でした。
 苗33本(昨年27本)、受粉数101個(105個)、収穫数51個(54個)、撤収日8月18日(8月12日)。

<親ヅル1本方式>

<親ヅル1本、子ヅル1本方式>

<子ヅル2本方式>



令和 2 年 4月20日(月)〜 5月9日(土)  

<KIYO丸でのカモの産卵と抱卵>


 潮も良くなったし、約2箇月振りに明日から釣りに行こうと思い KIYO丸へ。
 後部の船体カバーを剥ぐって、バッテリー上がりを心配して船外機を掛けてビックリ。
1羽の鳥が未だ剥がしてない船体カバーの中から急に飛び立ったではないか。よく見てみると座椅子の上に約10個の卵を産卵して、鳥が温めていたらしい。
 思いがけ無い事だったのでどんな鳥が飛び立ったかも判らず、直ちに船外機を止め、元に近い状態に復して、岸壁の車の中から観察していると 10分も経たない内に2羽のカモが KIYO丸近くの海上に舞い降りてきた。
その4分後には雌カモは船内へ雄カモは海上で見張り?
 帰ってからの俄か勉強によると、抱卵は雌だけで孵化するまでに26日〜28日位掛かるらしい。
 いつ頃から釣りに行けるようになるかな〜。

4月21日(火) 
 日の出時刻の5時半に現場へ。
 丁度、隣に繋いでいる修君の伝馬船が船外機を掛けたりして出港準備をしていたので避難していたのか? カモは居ない。
 雌の留守を幸いに卵に触ってみると生暖かい。直ぐに元通りにして岸壁で様子を見ることに。
 修君の船が出て行って、暫らくして雌が現れ、KIYO丸の船縁に上がって様子を見てから船内へ入った。これを機に早朝の観察を終える。

 夕方に再度 KIYO丸へ。慎重に観察してカモは居ないと判断して船体カバーをはぐったのだが、今回もカモを追い出す結果となり 何故もっと慎重にしなかったかと・・・
 その後、約30分間港で様子を見ていたが、カモは KIYO丸に帰って来ず、心配して帰宅しました。

4月22日(水)
 夕方、手作りの食パンとけいすけ農園で無農薬で作ったキャベツ・大根・パセリを持ってKIYO丸へ。
  心配していたとおりカモは不在。卵の側へエサを置いて約1時間ほどカモの帰りを待ったが姿を現さなかった。

4月23日(木)
 今日は午後4時前に岸壁に到着。
  約1時間、車の中で周囲の様子を見ていたが、何の変化も無いので、恐る恐る船体カバーの中を覗き込んで ガックリ。
 エサは昨日のまま。
 2度も突然追い出したのですっかり嫌われたか?卵を見捨てたのか?
 
4月24日(金)
  昨日からインターネット等でカモの事を色々と調べましたので、可成り知らないことが解ってきました。
  事例の1つに今回のケースによく似たのがあり、参考になりました。  そのベストアンサーに、「無理です」(人工孵化とか適当な場所替え等をさしていると思います)。「直ちに元の場所に帰しなさい」。の端的なのが選ばれていました。
 このカモ夫婦は最適場所としてKIYO丸を選んでくれたのだから、これ以上何もしないでおこうとの結論に至りました。
  そこで今日は日没を挿んで3時間岸壁に駐車した車の中からじっと見守ることに。
  日もたっぷり暮れ、周囲の街灯が灯るまで頑張り?ましたが、KIYO丸の周囲では何も変化がありませんでした。
  船体カバーも開けませんでしたので、中にカモが居るかは不明です。多分居ないと思います。
 
4月25日(土)、26日(日)
  様子を見に行きたいのをグッと我慢してこの2日間は静観。
 
4月27日(月)
  今日は日の出前から船着場へ。
  暫らく観察していたが、周囲の様子からどうも変化があったようには無いので、徐にカバーを剥ぐってみると卵もエサもそのまま。 予想されていたことなので・・・
  持って行った大型の洗面器へバスタオルを敷いてその中へ羽毛も添えて丁重に移して元の場所に置いて来ました。
  卵は11個ありました。その内4個が一部割れて黄味がかっていました。
  劇的な変化は有るようには思いませんが、カバーは外から入り易いようにして、数日間様子を見ることにしました。

5月7日(木)
 10日間放置していたのと明日から釣りを再開したいと思い昼過ぎにKIYO丸へ。
 案の定、何の変化も有りませんでした。
 卵の入った容器は、カバーの中に入って来たら直ぐ判るようにしてきました。

5月8日(金)
 卵に変わったことは無く、容器を船の中央に移してKIYO丸で昼前まで釣り。
 帰りに卵の入った洗面器を船尾に外から見えるように置いて来ました。

5月9日(土)
 早朝に船に行ってビックリ。卵も容器も一切なし。
 卵はカラス等の餌食になるだろうとは予想していましたが、このような状態になるとは。
 まさか人様が処分?したのでは? いや、そんな筈はないと・・・
 何れにせよ、スーッとした気分になって釣りに出ました。

これで1件落着かと思うと、安堵と落胆が交錯して何か空しい気持ちです。 

<私が釣り時に使う座椅子の上に産卵していました>

<卵は約10個、卵の両側は羽毛です>

<暫らくして2羽のカモがKIYO丸近くの海上に現れる>

<雌は船内へ、雄は海上で見張り?>

<突然カバーを剥がされ、怒って船から離れて行きました>

<船縁へ上がって周囲の様子を見ています>

<船首の方からの画像、マガモの雌?>

<かなり警戒心が緩んで来たか?>

<船縁へ上がって20分後、やっと中へ入りました>

<夕方に来て、そっと中の様子を探っています。居ない様子?>

<私の観察力不足、カモは抱卵していて、不意にカバーをはぐられて怒って逃げました>

<岸壁の私を警戒して?30分経ってもKIYO丸に戻って来ません>

<卵の側へエサを置いて来ました>

<カモは居ないし、餌に手を付けた様子がありません。心配です>

<3時間粘って現れたのはこの1羽だけ>

<卵は11個ありました>

<一部割れた卵>

<バスタオルに丁寧に並べて元の場所に置きました>

<11個の卵を羽毛で囲いました>

<カモが入り易いようにカバーを開けてきました>

<卵の入った容器の周囲を整理して、入ったら直ぐ判るようにしました>

<船から離れる際に何処からでも見えるように船尾に置いて来ました>

<朝行ってビックリ! 卵だけでなくバスタオルも洗面器も一切無し>



令和 2 年 2月23日(日)  

<ブルーベリーの休眠枝挿し>


 けいすけ農園ではブルーベリーは当初から主果樹の位置付けでしたので、ここ10数年で延約50本の苗木を植えましたが、栽培技術の幼稚さ、イノシシ・モグラの被害等があり、 現在は12本しかなく満足に収穫出来ていない状況です。
 そこで、ブルーベリーを増やすべく昨年から挿し木に挑戦しています。

 手始めに昨秋、緑枝挿しをやってみましたが、一部発根したものの苗木までには成長せず、インターネットで色々と知識を蓄積した結果、 ブルーベリーは一般的に〈休眠枝挿し〉が適しているということで今回はそれに挑戦。

 挿し穂については、「その年に伸びた若い枝から取り、挿し穂を取る枝は十分に伸びて生長が止まったものを選ぶ」「採った挿し穂は直ぐに挿す」 「採った穂木を冷蔵庫で保管して春に挿し穂にする」。
 用土については、「ピートモスだけを使う」「ピートモスと赤玉・鹿沼土の混合、その割合も人により10対5、10対10」 等の御教示?があり、その全てを実践しました。

 2〜3か月後にどれ位発根するか楽しみにしてこれから毎日水やりです。

<P.S 令和2年5月12日>
 約3カ月経つのに一向に発根していません。
 殆ど毎日水やりもしたのに。置いていた場所が悪かったのかな〜?
 今更如何することも出来ないので、このまま様子を見ることに。


<定着するまでトサミズキの陰に置いておくつもりです>

<穂木は割り箸位が良い?>

<ピートモスと鹿沼土の割合は色々にしました>

<状態は良さそうなのに如何して発根しないのか?>



令和 2 年 1月14日(火)  
<土佐カブラ>

 昨年10月の高知新聞の「魚信」蘭に中村フィッシング会長の明神さんの手作り「土佐カブラ」の記事を見て、便に寄ってみようと切り抜きを置いていたのを思い出して、 急に思い立って幡多方面に1泊で行って来ました。

 今回の幡多行きの主要目的は2つ。
 1つは、この土佐カブラを現物を見て買うこと。
 もう1つは、これも長年の懸案?である「大阪海洋館海洋生物研究所以布利センター」の訪問です。

 土佐カブラはずっと以前には、「エバカブラ」「ネイリカブラ」として高知市の「丹吉釣具店」等でも売ってましたが、ここ数年は何処にも無く、需要が少ないので仕方ないかと 諦めていたところでした。
 「中村フィッシング」へ初めて行ってその品物の豊富さに驚きました。
 現物を色々と吟味?して、私がエバ釣りに使えそうなのを4種類買って来ました。ここのところはエバのシーズンが済みましたので、秋のエバ釣りが楽しみです。
 今迄の経験からどれかがフィット?するのは間違いなく、エサの倹約にもなり、今からわくわくしています。
 

<「中村フィッシング」陳列の土佐カブラ、思った以上の豊富さです>

<今回、私が買ったカブラ>



令和元 年12月31日(火) 
<平成31年・令和元年のチヌ釣りとゴルフ>

  ☆ チヌ釣り
 浦戸湾へ 35回の釣行でした。
 主な釣果は
 チヌ 222枚 (3歳20枚、2歳49枚、子95枚、ヒョウ27枚、クロ31枚)
 エバ  830
 今年は、回数・数とも昨年よりは格段に増えました。
 チヌは子とクロが増え、エバは湧いていて、何処でもで10月中旬から小振りが釣れ始め、年末には30センチ前後が半分を占めました。   
 12月にKIYO丸が側面の亀裂で半分沈没するというハプニングがありましたが、皆さんのお陰で元通りになって現在は安全な釣りが出来ています。

  ☆ ゴルフ
 県外2R、県内48R、合計50Rプレーしました。
 今年の夏は異常な暑さで、8月に1度前半に足がつりハーフで止めました。それ以外は本来の歩くゴルフが出来ましたが、年々厳しくなっています。
 技術的には寄せが悪く、グロスも下がる一方で96,9でした。
  カシオワールドオープンと横浜ギアーゴルフトーナメントのボランティアは共に2日間しましたが80歳になる来年は如何しようかと迷っています。  

 終わりになりましたが、このHPを今年訪問して下さった方は、1月1日に141,366カウントで スタートして、現在146、557。年々少なくなって延5,191人でした。アクセスしてくれた皆さん有難うございました。

 来年もよろしくお願いします。  













令和 元 年12月13日 〜 20日
<KIYO丸が半沈没?>

 今週は月・火と釣り、水曜日は今年最後のKKK杯ゴルフを黒潮でプレー、その晩は「司」で懇親会、木曜日は暫らくぶりに午前と午後に2時間畑で作業。

 13日の金曜日は通常通り起きて、風が無ければ釣りをするつもりで船着き場へ。
 岸壁で車の中からKIYO丸を見てびっくり! 船の後ろ半分が沈んでいるではないか。
 急いで隣の植田さんの船に飛び乗って、大きい洗面器を右手に持って浸水した海水を排除しようとするが・・・・・。
 思いがけない事態に気が動転していたのか? 4箇所の排水口を塞がずに作業していた。これでは水が減るわけがない。
 やっと、それに気付いた時には既に右手がパンパン。20杯汲み出しては2〜3分休んでの繰り返しをするうちに、やっとKIYO丸に乗り移っての作業が出来るように。  それからは消火用のバケツで作業したのでまもなく空になったが・・・
 原因が判らない?
 疲労困憊になっていたし、休みがてら植田さんに相談に行く。
 色々と2人で思案した結果、今は潮の干満が大きいので隣の船と交錯してKIYO丸が下になって大きく傾いた時に排水口から浸水したのでは?
 台風で倒れたポールの残滓が残っているので、それが悪さをしているか?
 今日は疲れ果てて何もする気も起らず、船底に可成りの水を残した状態で様子を見ることに。今日の作業終了。

 14日(土)
  朝早々に心配しながら船着き場へ。
  又、ガックリ!
  昨日よりも沈んでいるではないか。
  今日は慌てることも無く、原因を考えながら淡々と排水作業。
  すっかり空にして1度家へ帰ってくる。
  昼過ぎに見に行く。少しは入っているがたいしたことは無い。
  日没前に今日3度目の訪問? 極端な変化なし。
  原因は何だ?

 15日(日)
  朝から右肩が痛くて上に上がらない。
  2度、船に行ったが特に変化なし。
  日曜日で「ヘルム」も休みで、何も出来ず。

 16日(月)
  「ヘルム」の黒岩さんに相談に行くと、船台を開けてやるから直ぐ持ってこいとの有り難いお言葉。
  KIYO丸を陸揚げして原因を探してもらう。
  船底は擦れているが浸水する傷等は無い。これには一寸安心。
  カンコの境目から少しづつ浸水しているようなのでビニールを張るとのこと。

 この際にとオイル等の交換等も済ませ、19日に海上に浮かせて念のために黒岩さんが船を横に寝かせると・・・浸水
 直ちに、又、船を陸揚げして、両側の破損しかかっている側面にビニール張りをしてくれたそう。
 これを聞いて私も納得。これで安心して釣りが出来ます。

 20日の午後、KIYO丸を引き取って来て1件落着。費用は10万円弱。
    

<13日は底に可成りの海水を残した状態で様子を見ることに>

<早朝に来てガックリ!! 昨日よりも沈んでいる>

<底が空になるまで排水>

<今日はこの状態で様子を見ることに>

<陸揚げしたKIYO丸の底、特段の損傷はない>

<カンコのビニール張り>

<船着場のポールの残滓に塩化ビニールを被せてポールを新設>

<最後に黒岩さんが見つけてくれた側面の亀裂、ビニールを張る>




令和 元 年12月11日 
<艪杭の修復>

 私の使っている伝馬船の生命線は艪で、この良し悪しが釣果を左右すると言っても過言ではありません。

 現在、私が使っている櫓は芝藤製の第1号で、制作過程から色々と注文を付けて作ってもらいましたので素晴らしい出来栄えとなり、大事に重宝して使っているところです。
 ところが1週間程前に艪杭がとれて困っていました。
 この程度のことで芝藤さんのお手を煩わすのも如何かと思い、ボンドを買ってきて接着しましたが上手くいかず。

 仕方なしに芝藤さんにご教示願い、エポキシパテを買ってきて再度トライ。
 この種の作業は小さい時から苦手で、とにかくしっかり繋がって動かなければ良いと軽い気持ちで作業。
 A液とB液を混ぜるのに手のあちこちに着けさがして、やっと、見栄えは悪いが何とか完了。

 1日乾燥して、試みに使ってみると全く支障なし。

 これで今まで通り急激な反転にも対処できます。


<材料のエポキシパテ>

<どう見ても仕上がりがお粗末>

<艪綱を掛けた状態>




令和 元 年11月14日 
<そば打ち体験>

 龍馬パスポートのステージ3(ブロンズ)からステージ4(シルバー)に行くには数ある体験プログラムから1体験以上が必要。

 そこで私がやろうとしたのが、「ふれあいの里 柳野」でのそば打ち体験。
 数か月前に1人でのこのこ出かけて行ったが、原則5人以上で予約が必要とのハードルがあって実現せず。  

 その後、色々と人を当たったが、なかなか皆さんウンと言ってくれない。
 やっと曽我さんが賛同してくれて、先方と掛け合い、2人でもやってくれることになり、今日、実現した次第。

 材料は、この地のそばを水車で挽いたそば粉とつなぎに使う長芋。これを練って練って、すりこ木でのばして、包丁で細長く切って、ゆでたら出来上がり。

 この体験をクリアーして、スタンプの48個は済んでいるので、次は県内で後5泊したら次のステージに進めます。


<講師さんの指導の下、一生懸命。曽我さんは既に仕上がり>

<左手でずらし乍ら切っていく最後の作業>

<今日使った道具と成果品(そば粉100g、長いも85g)、後は中火で15分茹でるだけ>

<展望台の食卓?から周囲を眺望しながら、いただきます>




令和 元 年 8月21日 
<イノシシ出没>

 けいすけ農園には、毎年、度々イノシシが出没し何らかの被害に遭っています。
 しかし、来襲する時期は主に冬に限られており、この真夏に出没するのは初めてで驚いています。
 台風10号の後は1回ならず数回?農道からの進入道路に入って来て、桜の木も被害を受けるようになり対策が必要に。

 取り敢えず、農道から進入道路の入り口にネットを張りましたが、出入りに不自由するので簡単な仕様にしたため、これで防げるかは?


<進入道路脇の桜の木の元まで荒らしています>

<進入道路入り口に約7mの防護用ネットを張りました>



令和 元 年 7月 1日 
<今年のカボチャ栽培>

 私の野菜栽培はあまり手入れもしないし、減農薬ですので出来は良くありません。やっと収穫した時にはそこらの無人市で100円で売ってますので力が入りません。

 昨年の作物の中で他人にあげて1番喜んでもらったのはカボチャでした。

 そこで、今年は栗カボチャ栽培に挑戦することに。

  例年は苗を買ってきて5〜6本植えるのですが、今年は種から育てて何処よりも早く珍しい内に収穫することを目的に取り組みました。

 先ず、組み立てのミニ温室を買ってきて、「タキイ」「トーホク」等の種60粒を種苗用の土に蒔いてスタート。
 双葉が出たころにポットに植え替え、そこそこ伸びたところで大きなポットに有機肥料もたっぷり入れてもう1回植え替えて苗を作りました。

 1人前の苗に育ったのは27本。これを北から南に向かって這わすように、肥料と水を与え易いように1列に植えました。
 夫々の苗は1本1本四方に竹を打って空の肥料袋で囲って防寒、防風に備えました。

 近くの種苗店で苗が出る頃には、けいすけ農園のカボチャは花盛り。

 大変だったのは、釣に行く日もゴルフに行くときも受粉を済ましてから出発なので、通常よりも30分早く起床しなければならないこと。
 雨の日には雌花に傘を架けて対処。

 今日現在、受粉作業をしたのが73個、着果したと思って下敷きを敷いたのが37個、その後枯れた?のが3個、30日が経過して収穫したのが10個です。

<P.S.令和元年8月10日>
 今年のカボチャ栽培の顛末です。
 最終的に受粉をしたのが105個、着果したと判断して段ボール等を下敷きしたのが58個、収穫したのが54個でした。


<2回に分けて1列に植えた27本のカボチャが順調に育っています>

<毎日の受粉作業の甲斐あって可成り着果しました>

<要所要所には着果した日付を表示>

<雨の日に受粉した雌花には傘を掛けて着果を促しました>

<初めて一部を収穫しました>



令和 元 年 6月28日 
<梅雨時の花>

 高松気象台は26日に「四国地方が梅雨入りしたとみられる」と発表しました。  今年の梅雨入りは昭和26年に気象台が梅雨入りの発表を始めて以来、最も遅い梅雨入りとなるそうです。

 そこで、鬱陶しいこの時期に「けいすけ農園」に咲いている野菜と花木の花を特集してみました。

 オクラの花が未だ咲いてないのが残念。

 

<今年は27本植えているカボチャの雌花と雄花>

<ピーマンと胡瓜。ピーマンの花は下を向いていて写すのに苦労しました>

< 近所のお百姓さんに貰ったタイガーメロンと辛子>

<ナスとミニトマト>

<夏にジュースにして飲むゴーヤ>

<園の周囲と進入道の土止めに植えている約100株のアジサイ>

<家の庭にあったのを移植したクチナシ>

<この土地を買う前からある私の大好きな合歓木>




○ 過 去 の 近 況 報 告 ○

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